明末中國佛教の研究 257

まず阿弥陀仏の極楽浄土へ求生して、無量無辺の三昧神通と総持智慧を得た後に、始めて地蔵菩薩と同じように普く十方法界の諸大地獄に入り、一切の衆生を救度しようとするものである。換言すれば、これは彼自身が解脱したのちに地獄の衆生を救出することである。

同生極楽の誓願  これについてはまた二点の資料が挙げられる。

とあるが、この二点の資料の作成年代は、共に智旭五十六歳のときに当るもので、智旭の最後期の度生思想である。「代受衆苦」や「最後解脱」や地獄救済などの悲願思想はすでにみえなくなっている。ここに見られるものは、ただ衆生と共に阿弥陀仏の願力および彼自身の修行功徳に頼って共に極楽浄土の往生を願求するのみである。約言すれば二十六歳頃の智旭は、彼一人の願力で一切の衆生を度脱する雄大な信念をもっていたが、四十歳以降は地蔵本願による「最後解脱」を誓う段階へ転出し、それから次第に年を経るに伴ってその意気込みも次第に減じているのである。したがって、智旭の贖罪思想そのものといえば、彼三十九歳までのことであり、その彼は単なる最後解脱・極楽経由・同生極楽などの誓願であって、贖罪説ではない。しかもその内容とするところは『地蔵』・『楞厳』・『阿弥陀』等の経典に説かれた教義思想の反映にすぎないのである。