現世にこれと似た報いを受けることである。果報とほこの場合は、地獄に堕ることであって、華報とは今世は疾病にかかることである。したがって、智旭が罪報感を強く受けとめている根底にほ、恐らく彼の多病の体質に関係があると考えることができる。なぜなら彼の生涯を通観するとき、彼が病気を得た時期に、必ず自己反省したり、持咒したり、礼懺したり、願文を作ったりしている点が指摘できるのである。実に智旭の宗教情操は、病いに襲われてから、より一層深化したのはまぎれもない事実である。華報として現世で病気になるということに関して、智旭が著作に示しているところは未だ指摘し得ないが、罪報により病気にかかるという意識はかなりみられる(1)。資料中にみえる智旭の生涯における疾病の記載は、次の表の通りである。
年令 | 疾病事件紀要 | 資料根拠 |
28-29歳 | 掩関於松陵、関中大病。 | 宗論巻首三頁 |
一病浜死、平時得力処、分毫俱用不著。 | 宗論六ノ一巻一四頁 |
32歳 | 庚午春、予病滞龍居、然臂香、刺舌血作書。 | 宗論八ノ一巻九頁 |
35-36歳 | 予癸酉、甲戍、匍匐苦患。 | 宗論六ノ一巻六頁 |
法友信我於挙世非毀之際、従我於九死一生之時。 | 宗論八ノ一巻一四頁 |
37歳 | 大病幾絕。 | 宗論六ノ一巻二四頁 |
乙亥冬、予遘篤疾。 | 宗論八ノ三巻八頁 |
38-39歳 | 丙子、予病隱九華。 | 宗論八ノ一巻一三頁 |
年至三十八、大病為良薬、高臥九子峰、腐滓堪咀嚼。 | 宗論九ノ四巻二二頁 |