明末中國佛教の研究 265

彼は素朴な念仏行者の道に入ってから、禅・律・密・天台教学を経て、最後の専精的阿弥陀仏の極楽浄土に結着するに至るまで、いずれにしても『楞厳経』をその依準としている。さらに『梵網経』も大切にしていたが、『楞厳経』と比べれば、むしろ第二位の指導経典としていることがうかがえる。 よって智旭の証悟について論及する前に、智旭の経歴に関連する二つの資料を左に抄録し図表として掲げたいと思う。
年令 文献大仏頂経玄文後序四書蕅益解序
12歳蕅益子年十二、談理學而不知理。
20歳年二十、習玄門而不知玄。
23歳旭年二十三、歳在辛酉、創獲(楞厳経)聞薰、決志離俗。年二十三、参禅而不知禅。
24-25歳次年剃染、坐禅雙径、每遇静中諸境、罔不藉此(楞厳)金錍。
27-28歳乙丑・丙寅両夏、為二三友人、逼演二遍、実多会心、願事闡発、以志在宗乗、未暇筆述。
31歳巳己春、与博山無異師伯、盤桓百日、深痛末世禅法、方一意窮研教眼、用補其偏。雖徧閱大蔵、而会帰処、不出梵網・仏頂二経。
36歳年三十六、演教而不知教。