明末中國佛教の研究 266

38-39歳帰臥九華、腐滓以為饌、糠粃以為糧、忘形骸、断世故、万慮尽灰、一念無寄。然後知儒也、玄也、禅也、律也、教也、無非楊葉与空拳也。

右に掲げた「大仏頂経玄文後序」(2)は、智旭四十一歳、「四書蕅益解序」(3)は四十九歳のときの著述であり、この両文中に証悟のことは語られていないが、証悟と関わりを持つ修業については確かに開示されている。これを整理すると、左のような年代分割がみられる。

智旭の信仰遍歴が一段落をみせたのは三十九歳であり、たとえば贖罪思想と持咒思想も、三十九歳を期に終る。その原因は、この時代の智旭は真剣に『梵網経』ことには『楞厳経』を、自身の修行の体験によって認識し、これよりは、あらゆる教理思想および信仰行為を、この『楞厳経』によって解決または融会しようとしたからであると思われる。