明末中國佛教の研究 267


1 智旭の浄土信仰に関する時期分類については、本書の二七四頁参照。

2 宗論六ノ二巻九頁

3 宗論六ノ一巻二三―二四頁

二 悟境の変遷とその区分


智旭の証悟といえば、①儒教者の立場の証悟②参禅者の立場の証悟③研教者の立場の証悟④念仏者の立場の証悟の四段階に分割することができる。

儒教者としての証悟


「八不道人伝」によれば、十二歳の折に「夢与孔顔晤言」という経験があり、さらに二十歳頃には、

二十歳、詮論語、至天下歸仁、不能下筆、廢寝忘飡三晝夜、大悟孔・顔心法。(宗論巻首三頁)

という経験もあったという。すなわち、智旭は十二歳の頃に、夢の中で孔子と顔淵の二人と面謁して話し合ったと記しているが、それはただの夢であり、証悟ではない、かつ本当の儒教のことも知ってはいない(1)。二十歳の折に『論語』を註釈しているが、その『顔淵問仁章』に至り、「天下帰仁」という文句を釈しようとするところで、どうしても続けることができなくなったといわれる。そして懸命に考えて、寝食を忘れるほどの思考の三昼夜を経てから、ついに孔子とその弟子である顔淵の心法を大悟した。この孔顔心法の内容については、「八不道人伝」には示していないが、智旭が四十九歳に改正した『論語点睛』巻下に、この「天下帰仁」を釈するに当って、