果して『楞厳経』の経義を大悟することを得た。これについての「八不道人伝」の記録は次のように示している。
竟往徑山坐禪、次年夏、逼拶功極、身心世界、忽皆消殞。因知此身、從無始末、當處出生、随處滅盡、但是堅固妄想、所現之影、刹那刹那、念念不住、的確非徒父母生也。從此、性相二宗、一齊透徹。知其本無矛盾、但是交光邪説、大誤人耳。是時。一切経論、一切公案、無不現前。旋自覺悟解發、非為聖證。故絶不語一人。久之則胸次空空、不復留一字脚。(宗論巻首二ー三頁)
彼が二十三歳にして坐禅したときは、まだ在家人の身分でなんらの心得もなかった。二十四歳で出家した彼は、第二段階の坐禅において見事な証悟を得たという。しかし、それは恐らく二十五歳のときの出来事であったと思われる。彼の伝記資料によれば、智旭は二十四歳の冬、第一回、径山に入って、二十五歳の春に径山を降り、天台山ヘ幽渓伝燈を訪ねて行ったが、当時の彼は禅の興味に没頭していたので、伝燈からはなんの利益も得られなかったようである(5)。そして天台山を離れ、夏頃、また径山に戻ってきた。その径山と天台山の往復の途中で、なお武林山の蓮居庵に、新伊大真(一五八〇ー一六五〇)と初対面したと伝えている(6)。
この悟境の中に体験したことは、「身心世界、忽皆消殞」ということで、これは彼の『論語』にいう「天下帰仁」を解釈する「十方虚空、悉皆消殞」という理念と全く同じことで、いわば『楞厳経』の教えによるものである。我々の肉体の物質世界と心理活動の精神世界は実際のままに存在しているものではない。凡夫が思っている身心世界は、実際には刹那生滅の幻影と妄念の連続にすぎない。現前の生理と心理の連続存在は、父母から生まれる当時の身心状態とは全く別なことであるといえる(7)。したがって、仏教の場合、相とは現象のことであり、性とは実際のことである。実際の性と現象の相の間に、ある理念は一つだけであるので、彼此矛盾することは全くない。