明末中國佛教の研究 273

五十六歳には禅定と慧解を反省して浄土往生の道へと決意した。これはいずれも病気にかかった際に、あられた信仰行為に関する心理動向であり、一旦病気に襲われると、禅定・観行・慧解などは、痛苦を除く助けにはならないのである。生死の三界にいる具縛の凡夫の身をもって、「損己利人」の菩薩行を行ずるのは無理なことであると感じた智旭は、次第に自力の難行道から離れ、阿弥陀仏の誓願力に頼って完全に浄土法門の易行道へ向って行くのである。

1 「四書蕅益解序」に、「蕅益子年十二、談理而不知理」ということは、宋儒の程伊川と朱熹の理学思想を指す。

2 『楞厳経』巻四に、「滅塵合覚、故発真如妙覚明性、而如来蔵本妙円心。」とある。\大正一九巻一二一頁A

3 『楞厳経』巻三に、「円満十虚、寧有方所、循業発現、世間無知、惑為因縁及自然性、皆是識心分別計度。但有言説、都無実義。」という説から、「十方虚空、悉皆消殞」の説を生じたのであると思われる。\大正一九巻一一八頁Cー一一九頁Bには、三回にわたりこの義が説かれている。

4 『大仏頂経玄文後序』参照。\宗論六ノ二巻九頁

5 宗論五ノ二巻一三頁

6 ①宗論六ノ四巻一八頁、②宗論八ノ二巻一頁

7 この点について、智旭の「自像賛」にも、「径山楼下、迷却父母生身」の句がある。\宗論九ノ四巻一八頁

8 「大仏頂経玄文後序」に、「毎遇静中諸境、罔不藉此金錍」と述べている。\宗論六ノ二巻九頁

9 ①宗論六ノ一巻二四頁、②宗論一〇ノ二巻一ー七頁

10 「刻浄土懺序」。\宗論六ノ一巻一四頁

11 「与了因及一切緇素」に、「今夏両番奇疾、求死不得。平日慧解雖了了、実不曽得大受用。」という証言をしている。\宗論五ノ二巻八頁