- 「示用晦二則」に、因少年稍通文墨、未幾為道友所逼、輙為商究佛法、遂致虛名日彰。(宗論二ノ五巻一六頁)
- 「書慈濟法友扥鉢養母後序」に、逮三十一、被道友牽逼、漸罣名網、而潛修密證之志、益荒矣。(宗論七ノ一巻二二頁)
- 「歙西豊南仁義院普說」に、只因藏身不密、為一二道友所逼、功用未純、流布太早、遂致三十年來、大為虛名所誤、直至於今、髮白面皺、生死大事、尚未了當。言之可羞、思之可痛。(宗論四ノ一巻六頁)
- 「大病中啟建浄社願文」に、不意幻緣所逼、謬為人師。二十餘年、雖有弘法微善、而虛名所累、觀行荒疏、勿能折伏煩悩、以登五品。(宗論一ノ四巻一三頁)
以上、四つの資料にみられる智旭は、少年時代から優れていた文学の面が、出家して後は却ってわざわいとなり、独りで修行する暇がなくなってしまうとしている。三十一歳の年、すでに道友達の勧請によって、宏律と演教の活動を始め、名声の高まるにともなって、自己の修証工夫は、却って荒廃していった。そろそろ頭の白髪と顔の皺が出てきたが、生死解脱の大事については、いまだできていないといっている。もし念仏三昧の修行によって、三界の見思煩悩を折伏すれば、すなわち、六即(9)中の第三段階である観行即仏の位となる。円教にいえば、五品弟子位(10)である。『法華文句』巻第十上によると、五品弟子であれば、比丘戒の五篇七聚の持守は、