彼は晩年に至るまで、頗る後悔の意を示している。これについては、左のような資料から充分に知られる。

以上、四つの資料にみられる智旭は、少年時代から優れていた文学の面が、出家して後は却ってわざわいとなり、独りで修行する暇がなくなってしまうとしている。三十一歳の年、すでに道友達の勧請によって、宏律と演教の活動を始め、名声の高まるにともなって、自己の修証工夫は、却って荒廃していった。そろそろ頭の白髪と顔の皺が出てきたが、生死解脱の大事については、いまだできていないといっている。もし念仏三昧の修行によって、三界の見思煩悩を折伏すれば、すなわち、六即(9)中の第三段階である観行即仏の位となる。円教にいえば、五品弟子位(10)である。『法華文句』巻第十上によると、五品弟子であれば、比丘戒の五篇七聚の持守は、