明末中國佛教の研究 28

祩宏は絶対に賛成していないことが明らかであろう。しかし、祩宏は同書になお儒教の孔子を道教の荘子と対比して、次のように述べている。

孔子之文、正大而光明、日月也。彼南華、佳者如繁星掣電、劣者如野燒也。(同上の一〇頁)

すなわち、祩宏の鑑賞した孔子の作品は、その正大光明なること、たとえていえば太陽あるいは月のようであるが、荘子の作品は優れた点では星と電掣の光のようであり、劣る点では野火程度にすぎないと論じている。ここに引用した文章からも、祩宏の考量するところによれば、荘子の作品は孔子よりも遥かに劣っているとしたことがよくわかるのである。また、祩宏が仏教の立場に立脚して、あらゆる中国の古典に対して批評している次のような見解が『竹窗随筆』に見られる。

震旦之書、周・孔・老・荘、為最矣。佛経来自五天、欲借此間語而發明。…(中略)…然多用其言、不盡用其義。(同上)

すなわち、祩宏の見解は、仏書一位、儒典二位、道書三位に見ているけれども、インドから伝え来った仏書は、たまに儒書と道書の用語を使っているところがあるが、それは単に中国原有語を借りて仏書の精義を解明するためであり、決して儒道二教の教義をすべて用いたのではないとするのである。したがって、智旭の『起信論裂網疏』巻第三等には、『荘子』の「趙遥遊」にある寓語より引用しているが、荘子思想そのものを受容するものではない。実は道教における老荘に対し智旭の見解を見た場合、荘子のことにはほとんど触れていない。むしろ、老子の方に好感をもっているように見られる。それには次のような二つの智旭の文献を挙げたい。すなわち、①「儒釋宗傳竊議」に、

老氏之学、蓋公等得其少分、以治漢、漢則大治。孔孟之學、漢代絶響。(宗論五ノ三巻一五頁)