とあり、また、②「觀老聃石像有感」に、
無欲無名理近禪、瞞盰終古浪稱仙。(宗論一〇ノ二巻一三頁)
と述べられている。智旭の考えた道教思想の代表者は、荘子ではなく、ただ老子のみである。これはおそらく『清浄法行経』における三聖化現説において、孔子・顔淵・老子を夫々、儒童菩薩、光浄菩薩、摩訶迦葉の化現に比定するのみで、荘子はこの三聖の中に名を列ねていないからでもあろう(2)。さらにまた老子の思想と儒教の周・孔思想の間に近似するところがあるので、明末の紫柏真可(一五四三ー一六〇三)と蕅益智旭の二人は共に、老子を儒教の系統に属すると考えている点も見うけられる(3)。老子と周・孔の思想は、いずれも「主治世而密為出世階」(4)であるから、どちらを取っても、政府の政治原則になることができる。よって漢の文帝および景帝の世に、斉人の蓋公が、老子の政治思想をもって、君主を輔助し実践した結果は、「文景の治」としてその治績が史冊によく讃美されている。だから、老子哲学はなお道教教理の源流であり、彼の無欲と無名という説を考察すれば、「欲」とは、仏教の欲界煩悩にあたり、「名」とは、仏教の色界煩悩にあたっている。そこで、老子の証悟境に入って無欲と無名になるのは、仏教の立場でいえば無色界の禅定に入ることであろう。それは暫く不生不死の境域と思われるが、真実には三界の生死輪廻を脱出することとは、いまだ言えないであろう。よって、老子は仙人と称讃されているにもかかわらず、結局本当の大覚金仙という真解脱者ではなさそうであると、智旭は論評している。
1
- 陳垣氏の『南宋初河北新道教考』\一九五七年七月中華書局重印本。
- 窪徳忠氏の「中国の宗教改革ー全真教の成立ー」\アジアの宗教文化2、昭和四十二年十二月十日法蔵館第一刷発行
- 常盤大定氏の『支那における仏教と儒教道教』下の第四章九および十項に、全真教を紹介している。
2 『清浄法行経』とは失訳の疑偽経であり、『出三蔵記』第四をはじめ、法経録、三宝紀などに、その経目は見える。また僧順の『三破論』(大正五二巻五三頁BーC参照)および北周道安の『二教論』(大正五二巻一四〇頁A参照)に、共にこれを引用するところは、「清浄法行経云、仏 遣三弟子、振旦教化、儒童菩薩、彼称孔丘。光浄菩薩、彼称顔淵。摩訶迦葉、彼称老子」ということである。
3 『紫柏老人集』巻四参照\卍続一ニ六巻三四八頁D
4 宗論五ノ三巻一四頁
三 明末における儒仏道三教同源論
さきに論述した明末の儒・道・仏の三教の代表的な人物は、ほとんどが三教同源説の傾向にあった。この思想の源流を溯れば、後漢太尉牟融の『理惑論』(1)をはじめ、宋の明教契嵩の『輔教篇』(2)、張商英の『護法論』(3)、元の劉謐の『三教平心論』(4)などがある。これらの著作はすべて仏教に立脚して、三教の調和論を提唱するもので、実に儒教と道教の思想を容受しながら、儒教と道教の反仏論を退治せんとするものである。
明代に至ると、太祖朱元璋が、『三教論』と『釈道論』を著わしている。これは君主の立場で三教調和論を提唱しているものである。そして道教の袁了凡、儒教の陽明学派の学者、仏教の雲棲祩宏等が相いついで出現したのであるが、明末の仏教四大師といえば、祩宏のほかに、まだ三人の三教同源論を述べる人々を紹介しなければならない。
紫柏真可の三教同源論
紫柏真可(一五四三ー一六〇三)は、彼の「示阮堅之」の法語に、次のように述べている。