明末中國佛教の研究 283

第四章 智旭の著作

第一節 智旭著作の特色

一 教義優先の強調


智旭の自叙伝とされる『八不道人伝』によれば、彼は十二歳から十七歳までの間に、『闢仏論』数十篇を著わした。さらに十七歳から二十二歳までの五年間に著わした論稿の数量は、二千余篇に達したという。これらの原稿はすべて彼が焼却してしまったが、単にこのような厖大な著作量を見ただけでも、少年儒者出身の智旭が、いかに天才的な著述家・思想家であったかを想像することができる。それ故、後に不立文字の禅宗の行に入り禅境を証悟したにもかかわらず、「離経一字、卽同魔説」(1)という見解を堅持している。このために智旭は禅宗の「教外別伝」を他宗の「教内真伝」と理解し、また禅宗の「伝仏心印」については、必ず「以教印心」(2)であると主張した。これはやはり『楞伽経』の宗通と説通の説(3)に、理論的根拠を置いているのであり、これに立脚して、彼の禅教一致あるいは宗教不二などの思想ができあがったと考えられる。智旭の表現によって、彼の思想に関する次の五種の見解を挙げたい。

禅教一致


この禅教一致の見解について、智旭の主張がみられるのは、①「示律堂大衆」の法語に、