明末中國佛教の研究 285

三蔵教典の文字の理性空寂ということであり、不要文字ではないとしている。

教観雙修


左の如くに見た禅と教、宗と教、見地と修証、行と解等の見解を要約して、これを禅者とするのが智旭の見解である。だが、彼はまた天台宗に私淑する学者でもあるので、これをあらためて「教観雙修」(13)とも称している。いわば教典を読すると同時に、それは観心の工夫になるはずであり、これは禅宗の参悟と相違はしていない(14)というのである。また、「示庸庵」の法語には、「もし教を離れて心を観ずれば闇になり、もし心に迷って教を逐えば浮かれ心となる(15)。その上、単に観があっても教がなければ、増上慢者に堕ちないことはいまだかつてなかったのである」(16)と論述している。

このように五種の表現とその内容を通して、よく理解されることは、智旭の禅教・宗教・教観等の説において、そのいずれもが教義を優先している原則はかわらないということである。智旭が一生を通じて著作専心の生涯をおくった根拠はここに在るといえよう。

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2 「除夕問答」参照。\宗論四ノ一巻一七頁

3 『楞伽阿跋多羅宝経』巻三に、「仏告大慧、一切声聞・緑覚・菩薩、有二種通相、謂宗通及説通。」とある。\大正一六巻四九九頁B

4 宗論二ノ一巻五頁

5 宗論二ノ一巻一五頁

6 宗論四ノ三巻四頁

7 宗論四ノ三巻五頁

8 宗論四ノ三巻九頁