明末中國佛教の研究 286


9 宗論二ノ一巻一頁

10 宗論二ノ一巻一九頁

11 宗論五ノ二巻四ー五頁

12 『楞伽阿跋多羅宝経』巻四に、「一切言説、堕於文字、義則不堕。離性非性故。無受生、亦無身故。是故大慧、如来不説堕文字法、文字有無不可得故。除不堕文字。大慧、若有説言、如来説堕文字 者、此則妄説。法離文字故。」と説かれている。\大正一六卷五〇六頁B―C

13 「大病中啓建浄社願文」。\宗論一ノ四巻一四頁

14 宗論三ノ一巻一三頁

15 宗論二ノ二巻四頁

16 宗論五ノ二巻一三頁

二 述作の態度


智旭の著作を調べると、少年時代の著述はすでに彼自身の手で焼却されたと記されており、青年時代の三十歳までの著述は、僅か短篇の願文と禅宗および戒律に関する極めて少数のものである。そして、真の智旭の思想完成ヘの道程は、三十九歳から始まるのであり、雲棲祩宏(一五三五ー一六一五)の「古人著述、多在晩年」という見解に同意している(1)。智旭は、「著述する場合には、必ずその言いたいことを十分に理解して、普ねく上中下の三根を利さなければならない。さもないと一つの善法を建立したと同時に、一つの弊端も伴なって生ずる恐れがある。」と語り(2)、著述することに対して、次のような態度を明示している。

この二つの資料に示されている智旭の述作の態度は、明らかに一般世間の学者の場合と相違している。群書を広く読んで、すべての優れたところを見出し、さらに、修行の力によって融会貫通をし、自己の胸の中で育てまたは再生した後に著作を始めれば、まさに集大成することができるという。たとえば、イソドの馬鳴と竜樹、中国の智顗と澄観、これらの人々が千古不朽の著作を残した原因は、すなわち、「備うるに衆長を採って、証するに心悟を以てする」故である。さもなければ、それは単なる義理の抄襲にすぎず、思想の集大成ということにはならないであろうという。智旭の述作態度は、その意味で確かに厳密であり、彼は単なる一般の註経と疏論の仏教学者ではなく、思想の集大成者であり、独立創発の思想家であると思われる。さらに、智旭は、経論の註疏に対して、「梵室偶談」の第四十五条に、次のような意見を述べている。

古人疏経論、必為發幽微、示指歸、出綱要、明修法。故随依一典、可了生死、上弘下化。後世畏其繁而廢棄焉。雖似善變通、實大傷教眼。如五覇尊周、周益受削。(宗論四ノ三巻一一ー一二頁)

この中の「古人」とは、恐らく智旭の考える理想的な人物として、前掲の馬鳴・竜樹・智顗・澄観等を指すのであろう。彼らは経論を註釈するにあたって、必ずその経またはその論の深底を明らかにし、その宗旨を示し、綱要をあらわし、修行の方法を明示している。よって、どの経論に依憑しても、みな生死を解脱し得るという上求下化の作用が含まれている。けれども、後世の註釈者は、これらの繁多の内容を畏懼し、廃棄しているのは、