智旭は「自像賛」の第二及び第十四に、それぞれ「踢翻禅・講窠臼、掀開仏・祖頭顱。」(5)、「踢破相・性両家界限、翻倒南宗・北教藩籬」(6)と表明している。智旭は、後世の参禅者と演教者に対してしばしば批判し反発したが、彼自身の探求した禅と教の源流は、仏と祖師の本懐である。仏と祖師の本懐である仏法には、法相と法性の界限はなく、南方禅と北宗禅の藩離もないはずであると主張している。これもまた智旭の教学思想の非宗派あるいは超宗派的様相を示すものと言い得るであろう。彼は禅宗のみではなく、天台宗に対しても反論している。たとえば、彼の「自像賛」の第六には、「仮饒黄蘗・雲門、未免遭吾一摑(7)。」と、禅宗ヘの反対論を示しているが、さらに「自像賛」の第三十三には天台と禅宗を共に否定して、「少室・天台尽踏翻、東土・西天皆触倒(8)。」と述ベている。これは所謂彼の自立宗の思想の本質を備えていると考えられる。なぜなら彼は、インドの諸祖に対しても、中国の禅と教の諸宗の祖師に対しても、反論しているところが少なくない。彼には、彼自身の独立創獲の教学思想があり、その思想の宣揚と確立のために、対他論破することもやむをえないことであろう。しかも彼は自己反省の中で、「慈心毒口」(9)また「肚裏無分毫介蒂、舌頭有多少毀譽。」(10)、「自讃毀他」(11)などと陳述している。心中には、慈悲のほかに怨みはすこしも持たないのであるが、「挙筆動舌」(12)のときには、自分の見解を出してさらに肯定し、他の意見を批判させることが多かった。ために、智旭は彼自身の人柄を、「自像賛」の第一に次のように自己描写している。
形骸枯槁兮神情自豊。資性鈍拙兮詮辯自雄。觸着渠兮猛虎毒龍。識得渠兮和氣春風。(宗論九ノ四巻一六頁)
多病な体質の智旭の外貌は、かなり痩せているタイプであるが、精神面においては活気を帯びている。彼の性格は鈍拙であるが、思想的に他を誘導する弁才のすぐれた人である。それ故、彼の思想と相違すれば、激しい批判をしたので、猛虎あるいは毒竜のような感じさえある。しかし、彼の思想を認識し、さらに理解すれば、