明末中國佛教の研究 31


審名以精義、精義以入神、入神以致用。此東方聖人・西方聖人、必由之道也。故顔子則隳肢體、黜聡明。老氏則曰、吾有大患、為吾有身、若吾無身、何患之有。又曰、介然有之、行於大道、唯施是畏。老氏亦東方聖人也、若究其所歸、本與儒同宗。…(中略)…窮生死之故、究性靈之極、設不學佛、終難徹了。(『紫柏老人集』巻第四\卍続一二六巻三四八頁D)

これは禅観の工夫を論じているものであり、観行の「審名」より「入神」の止行があらわれるという。また、止観雙行すれば、「精義」の定境と悟境が顕現してくる。これは証悟の大用であるけれども、肢体身心の六根の粗濁な澄ませなければ、大用の目的に達することはできない。この点儒教の顔淵と道教の老子と共に、肉体の執著を忘れることを主張しているから、確かに東方的な聖人であることは間違いがない。だが、仏教の教理に立脚していえば、顔淵と老子の忘我境界は、わずか前五根の作用を暫く止まらせるのみにすぎないのであって、第六意根の活動は、いまだ静止していないのである。それでは六根清浄の出離生死ということにはならないであろうと、真可は強調している。

憨山徳清の三教同源論


真可と同時代の憨山徳清(一五四六ー一六二三)には、彼の『憨山大師夢遊全集』巻第四十五に、三教同源論に関する『観老荘影響論』と『道徳経解発題』が収められているが、他に彼は『中庸直解』二巻、『老子解』二巻、『荘子内篇註』七巻を著わしている。彼は唯心識観の理念で諸法の現象を理解し、一切の諸法はただ影像と音響の幻現にすぎない、諸法の実相本体は我々の心であり、法界の真心であるという。いわば『華厳経疏鈔玄談』巻二にある「無不従此法界流、無不還帰此法界」という法界のことである。したがって、老荘の思想もその法界の真心から流れてきたというのであり、この観点に立って万法同源また三教同源の理義を定めたのである。そして、徳清における老荘思想の評価が、かなり高いところに見られていることは『観老荘影響論』に、