明末中國佛教の研究 291


3 東周時代の五伯とは、また五覇ともいう。すなわち斉の桓公・晋の文公・秦の襄公・宋の襄公。楚の荘王である。

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5 宗論九ノ四巻一六頁

6 宗論九ノ四巻一九頁

7 宗論九ノ四巻一七頁

8 宗論九ノ四巻二三頁

9 「自像賛」の四。\宗論九ノ四巻一六頁

10 「自像賛」の十六。\宗論九ノ四巻一九頁

11 「自像賛」の六。\宗論九ノ四巻一七頁

12 「自像賛」の六。\宗論九ノ四巻一七頁

13 宗論九ノ四巻一六頁

第二節 智旭著作の書誌学的研究

一 釈論と宗論


智旭が残した著作の性質を分析すると、経論に対する註釈書と彼自身の論文および雑文・韻文・法語・書簡等に分類される。しかし、智旭の弟子である堅密成時撰の「宗論序」の中に述べた見解によると、仏教典籍の分類は、経・律・論の三蔵であり、高僧の著作は、みな阿毘曇の論蔵に収められる。また、智旭の『閲蔵知津』は、高僧の著作には釈経論と宗経論の二類があるとする。これらの見解に従って、堅密成時は、智旭の著作を釈論と宗論の二類としたのである。成時が編集したところの『霊峰蕅益大師宗論』は、智旭の述作した釈論以外の宗論を指すものである。しかし、実際にはこの『霊峰宗論』に収められている内容を調べると、必ずしも宗論のみに限らない。