3 東周時代の五伯とは、また五覇ともいう。すなわち斉の桓公・晋の文公・秦の襄公・宋の襄公。楚の荘王である。
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- 『大般涅槃経』巻六。\大正一二巻四〇一頁B
- 望月信亨『仏教大辞典』一七一九頁Bー一七二〇頁A参照。
5 宗論九ノ四巻一六頁
6 宗論九ノ四巻一九頁
7 宗論九ノ四巻一七頁
8 宗論九ノ四巻二三頁
9 「自像賛」の四。\宗論九ノ四巻一六頁
10 「自像賛」の十六。\宗論九ノ四巻一九頁
11 「自像賛」の六。\宗論九ノ四巻一七頁
12 「自像賛」の六。\宗論九ノ四巻一七頁
13 宗論九ノ四巻一六頁
第二節 智旭著作の書誌学的研究
一 釈論と宗論
智旭が残した著作の性質を分析すると、経論に対する註釈書と彼自身の論文および雑文・韻文・法語・書簡等に分類される。しかし、智旭の弟子である堅密成時撰の「宗論序」の中に述べた見解によると、仏教典籍の分類は、経・律・論の三蔵であり、高僧の著作は、みな阿毘曇の論蔵に収められる。また、智旭の『閲蔵知津』は、高僧の著作には釈経論と宗経論の二類があるとする。これらの見解に従って、堅密成時は、智旭の著作を釈論と宗論の二類としたのである。成時が編集したところの『霊峰蕅益大師宗論』は、智旭の述作した釈論以外の宗論を指すものである。しかし、実際にはこの『霊峰宗論』に収められている内容を調べると、必ずしも宗論のみに限らない。