明末中國佛教の研究 2f02


従来の研究でも、智旭は明末の傑出した天台学者と見られており、中国近世天台学を研究するならば、どうしても智旭を除外することはできないと言われていたが、けっして智旭は単なる教学の研究者たるにとどまらない。彼の真頂骨とするところは、むしろ、ひたむきな仏教信仰の姿勢と真剣な仏教生活の実践の方にあった。それは、いみじくも江戸時代の天台学者である霊空光謙(一六五二-一七三九)が、「刻霊峰蕅益大師宗論序」に、「余亦嘗言、読蕅益宗論而不堕涙者、其人必無菩提心」と論述している通りである。

筆者が智旭の研究に着手するに至った縁は、日本留学の目的が天台教学の研究という点にあったからでもあるが、なお一昨年遷化された坂本幸男博士から、中国人僧侶としての筆者に、智旭の論集である『霊峰宗論』の研究を、幾度も薦められたからである。

頭初の研究計画においては、智旭には『宗論』以外にもなお七十七種三百四十巻の著作があり、それらをすべて研究すれば、範囲が厖大にすぎる恐れがあったため、全著作の中で『法華経』関係のものと、大正新脩大蔵経中にも収録されている『起信論裂網疏』を中心とした研究に限定する予定であった。しかし、三十八巻に及ぶ『宗論』を二十余たび精読し、かつ資料カードを整理するその研究過程において、筆者にはどぅしても智旭の思想全体を理解しなおさねばならぬという願望が生じた。