明末中國佛教の研究 2f03

なぜなら、『宗論』の内容に見られる智旭の思想は、天台宗の教観を重視してはいるが、彼の思想基盤が『法華経』中心ではないことが予想されたからである。すなわち、被の生涯を通じて見ると、仏教生活の実践においては『梵網経』を中心とする戒律主義者であり、仏教信仰の行為においては地蔵経典群である『本願経』および『占察経』に依拠しており、さらに教理の哲学思想においては『大仏頂首楞厳経』を中心としているからである。『楞厳経』は、華厳宗はもとより、禅宗においても重視されたもので、この点については智旭自身、自らの基本的な立場は『楞厳経』中心の禅者であると明言している。さらに、この基本的な立場に基づいて、性相融会・諸宗融通の姿勢が生まれてきたのである。彼が『楞伽経』・『起信論』・『唯識論』等の経論を註釈した目的は、『楞厳経』に基づく仏教統一論を促成せしむることにあった。したがって天台教観に対して示した智旭の姿勢は、経論註釈の方法論として利用したにすぎなかったと思われるのである。

かくの如く、筆者の見た智旭は結果的に従来いわれてきたような、天台宗の学者としての智旭観と異ったものとなった。したがって、小論の作製にあたって、過去発表された智旭に関する先学諸氏の研究に対しては、もとより深甚の敬意を表するものであるが、小論の研究過程においては、具体的にその論究について参照するまでにいたらなかった。筆者の研究基盤は、あくまで筆者自身の、