この一種の『録要』と二種の『箋要』を作成したものと思われる。ついで、『仏説齋経註』および『在家律要廣集』の署名方式は、「蕅益沙門智旭」を用いているから、これは智旭四十九歳の『唯識論観心法要』と『相宗八要直解』の署名式と全く同様であり、『見聞録』の署名は「古呉沙門智旭」となっているから、彼四十四歳の『大乗止観法門釈要』の署名式と類似している。また、『優婆塞受三帰五戒法』と『毘尼珍敬録』に見られる「古呉比丘智旭」という署名方式ほ、彼が三十五歳で述作した『占察経行法』と同様である。なお、『教観綱宗』とその『釈義』に見られる「北天目蕅益沙門智旭」という署名方式は、彼が五十三歳に述作した『菩薩戒本経箋要』、五十五歳で述作した『選仏譜』、並びに五十六歳で完成した『閲蔵知津』と『法海観瀾』などの署名方式と一致している。

したがって、『教観綱宗』の成立年代は、恐らく智旭五十三歳以降のことであると推測できるであろう。それ故、智旭の著作の成立年代を推定することが全くできないのは、ほんのわずかであると思われる。よって、これら推定した著作を、あらためて次のように表示したいと思う。
西紀年令書名卷数著作地現存所属推定理由
163335優婆塞受三帰五戒法1西湖寺卍続蔵一〇六巻『占察経行法』署名式相同
163335毘尼珍敬録2西湖寺卍続蔵六一巻『占察経行法』署名式相同
164244見聞録1湖州卍続蔵一四九巻『大乗止観釈要』署名式類似
164749仏説齋経註1祖堂卍続蔵一〇六巻『唯識心要』等署名式相同
164749在家律要廣集3祖堂