明末中國佛教の研究 301

165052沙弥十戒録要1霊峰〃 〃『重治毘尼事義集要』署名式相同
165052優婆塞戒経受戒品箋要1霊峰〃 〃〃 〃
165052優婆塞五戒相経箋要1霊峰〃 〃〃 〃
1651-165453-56教観綱要1卍続蔵一〇一巻『菩薩戒本箋要』『選仏譜』等署名式相似
教観綱宗釈義1〃 〃〃 〃

妙玄節要および法華綸貫の成立年代考


さて、さきの表の①における年代推定の根拠について、説明しなければならない。主な資料の根拠は、智旭の「八不道人伝」であるが、他に彼の願文・縁起・序文・跋文によるところも少なくない。そのうち『法華玄義節要』と『法華綸貫』の署名方式には、疑問があるので、一応ここで論究しておきたい。

浅井円道博士は、「智旭の法華経会義等の研究」において、「智旭は四十一歳に『法華綸貫』を述作し、四十二歳に『法華玄義節要』を述作した。(4)」と論じている。

事実、『妙玄節要』の跋文によると「庚辰仲夏」五月二十六(5)二巻の『節要』を完成したことが明らかであり、「庚辰」という年は、確かに智旭の数え年の四十二歳(一六四〇)であるけれども、その「蕅益比丘智旭」という署名方式についてほ、非常に疑問がある。なぜなら、智旭は三十五歳の自恣日に、「菩薩沙弥」の鬮(おみくじ)を拈得して比丘戒を捨し、四十七歳の元旦に至って、再び『占察経』の輪相によって比丘戒を得るまでの間は、比丘の身分はないのであるから、「蕅益比丘智旭」という署名方式はしないはずであり、「蕅益比丘」とは、