明末中國佛教の研究 306


この表から知られるように、二十二種の未作成の著作中で、智旭自身の文献の中に、『円覚経新疏』と『維摩経補疏』の二種は、三回みられ、『観経疏鈔録要』と『大涅槃経合論』の二種は、二回みられる。その他、『十輪経解』・『無量寿如来会疏』・『賢護経解』・『地蔵本願経疏』・『僧史刪補』・『緇門宝訓』・『続燈録』の七種は、それぞれ一回ずつみられる。そして、成時撰の「続伝」には、『続燈録』を除く二十一種がみられる。よって、智旭自身が最も重要視していたものは、『円覚経新疏』および『維摩経補疏』の二種といえるであろう。

一般に学者は、智旭を天台系に属する人物だとしているが、天台智顗の三大部と五小部を基準として智旭の著作を考察するならば、天台系統に関連するものは極めて少数である。特に前述の如く智旭が重要著作であるとするものの中で、法華経関係のものはただ『法華会義』のみである。これは『法華文句』と『文句記』によったものである。また、『法華玄義節要』はあったが、彼の重要著作ではなく、『摩訶止観輔行録要』はついに完成しなかった。五小部に関する『金光明経続疏』と『観経疏鈔録要』の二書も名目のみで、述作されなかったのである。

天台宗関係のもの


ところで、この二十二種の未作成の書目を研究すると、天台関係と天台関係以外の二類に分類することができる。智旭の天台宗の祖師に対する態度は条件つきの尊敬である。すなわち、天台関係では、南嶽慧思(五一五―五七七)、天台智顗(五三八ー五九七)、章安灌頂(五六一ー六三二)、荊渓湛然(七一一ー七八二)、四明知礼(九六〇ー一〇二八)の五人のみが尊敬の対象であり、この五人の著書の中で関心を持つのは次の六種である。

その他


天台宗関係以外の未作成書目は十六種あり、その中には、華厳・禅宗・浄土・および地蔵と薬師信仰の大小乗典籍が含まれている。

小結


以上二十二種の未作成の書名の中で、注意すべきことは、旧疏に反論するものを「新疏」、旧疏にしたがいながらも新義を述ぶべきものを「続疏」、原書にしたがいつつその要点を節録するものを「録要」あるいは「節要」、註釈書を見ない経論について述べる場合を「解」または「疏」とそれぞれ標題していることである。智旭は大蔵経を閲覧しているうちに、折にふれて註釈すべき典籍を発見していたが、世人はむしろこういうことに対しては関心を持たなかった。このことについては彼の『閲蔵知津』にしばしば述べられている。よって、二十二種の書名中、智旭の時代まで註釈書のなかったものは十一種を占めていることになるのである。

1 「維摩経提唱略論序」に、「嘗観古来註述。……(中略)……欲追成周礼楽、捨智者大師一人、指未易屈。」\宗論六ノ四巻一三ー一四頁

2 「八不道人伝」に、「四教儀流伝而台宗昧。如執死方医変証(症)也」とある。\宗論巻首四頁

3 「周易禅解跋」。\宗論七ノ一巻二〇頁

4 宗論六ノ四巻九頁

5 『盂蘭盆経疏』巻一。\大正三九巻五〇六頁B

6 『盂蘭盆経新疏』。\卍続三五卷一五四頁C

7 『円覚経略疏註』。\大正三九巻五二六頁BーC

8 宗論五ノ三巻一七頁

9 宗論九ノ四巻一二頁

10 宗論一ノ三巻一頁

11 周知の如く、『起信論』の中国撰述説は望月信亨、『大乗起信論之研究』(一九二二年)の主張。これに対して宇井伯寿は『印度哲学史』(一九三二年)と『仏教汎論』(一九四七年)に印度撰述説を主張している。最近では松涛誠廉がこれを馬鳴作と主張されている(『日仏年報』第二二巻一九五六年にある「起信論の体系と年代」および『大正大学研究紀要』三九号にある「瑜伽行派の祖としての馬鳴」参照)。

12 大正一六巻六四〇頁Cー六五二頁C

13 大正一七巻八七四頁Aー八七五頁C

14 大正一四巻四〇九頁Aー四一八頁A

15 『閲蔵知津』一二巻一四頁

16 『閲蔵知津』五巻一九ー二〇頁

17 望月信亨『仏教経典成立史論』四〇九ー四一六頁