明末中國佛教の研究 316

前述の釈論を除くその他すべての智旭の文章を総括していう。智旭の滅後、弟子堅密成時は、智旭の七種の文集を、あらためて分類編纂して世に出した。すなわち、『霊峰蕅益大師宗論』三十八巻がそれである。これについて成時の「宗論序」には次のように説明されている。

諸疏外、稿有七部、今輯爲全書、以文為類。原在稿外別行者、亦以次収入。按三蔵、凡高信撰述、悉入阿昆曇論藏、而有二種、専釋一経者、曰釋論。概宗十二部經、自成名・句・文者、曰宗論。今以釋論、收霊峰諸疏。而七部稿總之、宗論收之、合十大巻、分三十八子卷。(宗論卷首一三頁)

成時は智旭の著作を二分類した。すなわち、智旭の諸疏を釈論に帰属させ、疏外の七種文集および集外に別行された著述を順次にこの『霊峰蕅益大師宗論』に編入したのである。しかもこれを略称して、智旭の『宗論』とするのである。ところで成時の序文には、「七部稿」のそれぞれの書名についてなんら説明がされておらず、却って智旭自らの著述の中にそれらの書名とその成書の年代が明らかにされている。閲覧の便宜のために、これに関する資料を表として示そう。

▲七種文集名称資料一覧表
成書次第成書年令資料名称
西有寱餘序(1)西有寱餘跋(2)幻遊雑集序(3)幻住雑編序(4)
138浄新堂初集
240絶餘編
344閩遊集
449浄信堂続集
550西有寱餘
654西有寱餘続編
756幻遊雑集
857幻住雑編

この表に掲げたように、実際には八種の文集があるにもかかわらず、成時はなぜ七部稿と述べたのであろうか。これについては、おそらく最後の『幻住雑編』を編成したのち、まもなく智旭が亡くなったので、