明末中國佛教の研究 320

窾會所關、無有發一言啓予者、豈未知所以問邪。(「壇中十問十答有引」\『宗論』三ノ二巻四頁)

以上のように『宗論』に精簡された部分を考察すると、ただ文字の精簡と洗錬ではなく、その文勢と文意もかなり簡略化されている。このことは、智旭の思想を認識する上にそれほどの影響をもつものではないが、智旭の伝記資料としてみると、確かに大きな欠点をもつものであると考えられる。また『?益三頌』の成立年代は、「八不道人伝」に明らかにされており、智旭四十二歳の時の著作である。本書の内容が『宗論』と全く同様であるという問題については、彼が四十六歳の春、この『三頌』を重刻する際(10)に、自らこれに修正の手を加えたと考えられる。現存の『三頌』別行本は、駒沢大学図書館明版大蔵経続蔵第四十套第八本に収録されている。したがって、この他の四種別行本もすべて智旭の在世時代に出版されものであり、それらは初版のまま修正されていないものと思われる。これらのうち、『梵室偶談』・『性学開蒙』・『絶餘編』の三種については、出版年代がみえないが、中国本土で出版れた原版書物であるとみられる(11)。

『浄信堂答問』考


『浄信堂答問』という書名は、智旭の文献にはみられないが、徳成の『閲蔵知津跋』に記載されている。智旭が亡くなってから後三十年頃に、本書の木版が損壊した事情を考えると、本書の初版発行はおそらく智旭在世中のことであると考えられる(12)。