また『答問』に収録された唯識関係のものは、ただ智旭四十六・七歳頃に述作された「示講堂大衆観心法要」のみであり、彼が五十歳以後に完成した『答成唯識論十五問』という答問体裁のものはこの『答問』にみられない。そこで『浄信堂答問』の編成年代は、智旭が四十七歳から五十歳の間であることは明らかであろう。
別行本の成立年代
『梵室偶談』の題名の下に「門人果海録」という記載がある。この果海比丘とは智旭三十歳の年に新伊法師の指示によって(17)始めて智旭に随侍した徹因のことである(18)。したがって、この『梵室偶談』は、智旭三十歳の年に述作されたものであると思われる。また、『性学開蒙』は、智旭が三十九歳の時作成した「壇中十問十答」の中の第四問答をあらたに敷演したものである。そこでこれはそれと同年代のものだと推定できよう。実際には『梵室偶談』の署名「古呉沙門智旭」、および『性学開蒙』の署名「方外史旭求寂」という自称方式を、彼の釈論諸書の年代順序の署名の差異と対比してもほぼ呼応している。そこで『宗論』に収録されており、なおかつ現存するその別行本について、その成立年代を整理してみれば次の表の通りである。