明末中國佛教の研究 33

仏教の聖境を越えることはあり得ない。老子はあくまでも仏教の賢位の菩薩にあたり、仮りに老子がもし釈尊の印決を得られたとすれば、必ずや無生智の悟境に入ったであろうと、徳清は考えている(5)。しかし、道教の老荘思想にこのような高い評価を与えるのは、中国仏教史上において、実に珍しい例であるというべきであろう。

蕅益智旭の三教同源論


智旭の三教同源論については「金陵三教祠重勧施棺疏」に、次のような記述が認められる。

儒以之保民、道以之不疵癘於物、釋以之度盡衆生。如不龜手薬、所用有大小耳。故吾謂、求道者、求之三教、不若求於自心。自心者、三教之源、三教、皆徒此心施設。(宗論七ノ四巻一〇頁)

ここにいう「保民」とは、『書経』および『孟子』にいうところであり、「使物不疵癘、而年穀熟」に見られる「疵癘」とは、『荘子』「逍遥遊」篇にいうところである。また『荘子』「逍遥遊」篇の寓言から、「不亀手の薬」という譬喩が引用されている。すなわち、儒教にいう「保民」とは、仁民愛物の心であり、道教にいう「不疵癘於物」とは、万物に疾病を起こさせないようにする心である。さらに、仏教の「度尽衆生」の念願心をもって、儒教および道教と比べると、その適用の範囲において、広狭大小の相異があるけれども、三教の各々がもっている心は、実に同じであるから、我々は求道するのに、心外に三教に求める必要はなく、むしろ自己の心に求めた方が一番適当であると、智旭は主張している。なぜなら、儒・道・仏の三教は、いずれも我々の心から現われたものであるからという。これは智旭に独特な「現前一念心」の哲学思想に基づくことである。この現前一念心と先に論述した徳清の法界心とを対照して見れば、非常に面白い結論が導き出せよう。だが智旭の三教同源論を承認するうえで、その思想は、三教平等とはいえない。仏教は世間法と出世間法の両面を円満無欠に包摂しているのに対し、他の教えは孟教にしても、