明末中國佛教の研究 34

道教にしても、いずれも単なる世間法の一面のみである(6)。

ところが、これまで論じた三教同源論における仏教側の代表者たちは、儒教といえば、孔子・顔淵・孟子についてしか論述していない。また、道教といえば、老子・荘子にしか触れられていない。恐らく漢儒ないし宋・明の儒者には、反仏論が多く、漢唐ないし明朝にかけては、金丹・符籙等の道徒は、朝廷から政治権力を与えられた場合、必ず仏教に対する弾圧を行うのが常であったから、仏教側の学者は、その金丹・符籙派の道士を正統の道教とは認めていなかったのであろう。たとえば、智旭は「儒釈宗伝竊議」に、

至於内丹・外丹、本非老氏宗旨、不足辯。(宗論五ノ三卷一四頁)

と述べている。それ故、三教同源論という内容も、実は僅か孔孟・老荘・釈迦についての同源説であり、ことに道教においては、単なる道家の哲学思想を指すもので、民間信仰の道術方士を含む全体的な宗教としての道教そのものを指すのではないと思われる。

1 大正五二巻一ー一七頁

2 大正五二巻六四八ー六六二頁

3 大正五二巻六三七ー六四六頁

4 大正五二巻七八一ー七九四頁

5 『憨山大師夢遊全集』巻第四十五\卍続一二七巻四一二頁BーC

6 「儒釈宗伝竊議」\宗論五ノ三巻一四頁