彼は唐の飛錫法師が『念仏三昧宝王論』(5)に提唱した念仏三昧は、三昧中の王であるという理念に基づいて、これを開展し、方等三昧・法華三昧・首楞厳三昧などの諸三昧を一括して念仏三昧の範疇に接収したのである。そして、禅と教と律の行者の修行法門による証悟の世界は、すべて念仏三昧の結果と相違していないのであり、禅・教・律のいずれによる修行の帰着点も、みな浄土に往生すべきものであると、智旭は主張したのである。このように三十歳までの智旭は、禅者的浄土信仰をもつもので、禅と浄土の思想的依拠となったものはいずれも『楞厳経』(6)であり、いわば『楞厳経』中心の禅者的浄土行者といってもよいと思われる。
1
- 「結壇水齋持大悲咒願文」。\宗論一ノ一巻八頁
- 「自像賛」の二十三。\宗論九ノ四巻二二頁
2 「八不道人伝」に、「十七歳閲『自知録序』及『竹窓随筆』、乃不謗仏」とある。\宗論巻首一頁 上挙の二書とも雲棲祩宏の著述である。『自知録』は道教の袁了凡が著わした『功過格』に基づくものであるとみられる。
3 「白午十頌自跋」に、「予謂之曰、且喜老兄会祖師禅、如来禅未夢見在。」とある。\宗論七ノ一巻七頁
4
- 「与周洗心」の書簡に、「円通章文句、尽収念仏三昧綱宗。」
と記されている。\宗論五ノ一巻二五頁
- 『円通章文句』とは、智旭の著わした『大仏頂首楞厳経文句』第五巻の末節である。\卍続二〇巻三〇八頁Aー三〇九頁C
5 唐の飛錫法師撰『念仏三昧宝王論』三巻。\①大正四七巻、②卍続一〇八巻『浄土十要』巻五に収録されている。
6
- 浄土については、『円通章文句』を参照。
- 禅については、『梵室偶談』の二十一に、「雖不能通三蔵衆典、楞厳一部、不可不精熟也。」とある。\宗論四ノ三巻一六頁