戒律重視の禅思想
智旭が従来の中国の禅宗学者と異なるところは、また生活軌範においてもその特徴がみられる。祖師禅の修行者の生活軌範は、百丈懐海(七二〇ー八一四)の清規によって禅苑生活の規則とした。この清規はインド仏教の戒律条文に対して、中国の社会背景によってできた中国的僧団規則であり、インド伝来の戒律条文に対する禅宗の諸祖の態度は、否定的ではないが、生活実践の依拠としていない。これに対し、智旭は禅者の立場にありながらインド伝来の戒律を宣伝し、戒律を一切仏法の共同基盤であると強調したのである。彼は二十七歳より三十一歳までの四年間に、五百巻余にのぼる律蔵を三遍にわたり精読したが、三十歳の第二遍閲読終了の折には、すでに四冊の『毘尼事義集要』を作成し、戒律研究の成果を纒めている。そしてここで注意されることは、智旭の戒律思想は、禅宗の学者であっても、必ず戒律を受持すべきであると主張していることである。
大小乗混融の戒律思想
ところで智旭の戒律の研究は、従来の中国の律宗学者とは相違を示している。中国の律宗学派には、唐の南山道宣・相部法励・東塔懐素の三派がある。しかし、明末までの仏教界が依憑したのは、ただ南山道宣の『四分律刪繁補闕行事鈔』十二巻と『四分律刪補随機羯磨』二巻のみである。これに対し智旭は、