明末中國佛教の研究 362

智旭に天台教観の重要性を感じさせた契機となったのであり、実に智旭思想の転換するところとなるのである。また注目すべきことは、智旭が三十歳より大蔵経を閲読して、その夏に千巻を閲読していたことである。これは智旭の思想進展において、相当の影響を与えたことと想像できる。

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2 禅宗の場合、『法華経』の三車喩を引用するのは、『六祖法宝壇経』の機縁第七にすでに「三車是仮」ということを語っている。/大正四八巻三五八頁A

3 三聚浄戒については、『菩薩地持経』巻四を参照。\大正三〇巻九一〇頁C―九一三頁B

4 『重治毘尼事義集要』凡例に、「声聞遮罪、大士悉皆同学、権開。今依梵網及慈氏戒本、毎戒指明大略、蓋倣天台戒疏也。」(取意)とある。 \卍続六三巻一七三頁C―D

第二節 壮年前期(三十一歳―三十九歳)における智旭の思想

一 戒律高揚と性相融会思想

戒律中心の地獄思想と孝道思想


三十一歳から三十九歳までの八年にわたる、智旭の思想の特色は、小乗律儀を鼓吹しながら、大乗菩薩戒に力を注入したことである。そしてこの段階に製作したおもな著書は、