占案経中心の性相融会論
ところで、この段階の智旭は、なお千巻余りの蔵経を読んでいたが、彼の思想に影響を及ぼしたのは『占察善悪業報経』と『宗鏡録』であったと思う。智旭の『占察経義疏』の跋文に、彼が『占察経』を読むに至った因縁について、次のような記載が見えている。
憶辛未(一六三一年三三歳)冬、寓北天目、有雨海居土、法名弘鎧、向予説此占察妙典、予乃倩人、特往雲棲、請得書本、一展讀之、悲欣交集。(卍続三五巻九九頁B)
これは智旭が三十三歳の冬に、始めて温陵の徐雨海居士(2)の話を聴聞し、自ら求めて『占察経』を杭州の雲棲寺で入手するに至った。そして開巻し読んだ結果、悲しみと喜びの両種の感情が生じたというのである。すなわち、この経に説かれた衆生の罪報は、悲しいことであり、また二種観法と三種輪相の懺法においては、欣喜すベきことであるという。三種輪相の懺法においては、智旭は『占察経行法』一巻を編成し、かつ実践している(3)。また二種の観法とは、唯心識観と真如実観ということであるが、この二種の観法の説が智旭に恵みを与えた点は多い。すなわち、