三回にわたって『宗鏡録』を研読したことが知られるのである(10)が、少なくとも三十八歳以前に一回は読んでいたと思われる。またこの文献を作成する前に、天台三大部と荊渓湛然(七一一ー七八二)の『釈籤』・『輔行』もすでに読んでいたことが右の文中に窺われる。さらに清涼澄観(七三七ー八三八)の『華厳経随疏演義鈔』および『華厳疏鈔玄談』も研究をし、また『成唯識論』は勿論のこと、唯識関係の『相宗八要』(11)も研究したことも知られ、その帰着点としては、天台・華厳・唯識の三宗または性相の二流を一括して『宗鏡録』に統一し、凡ての諸宗を浄土信仰に会帰したのである。これは教観並彰・禅浄一致という統一の局面であり、換言すれば、この文献を作成したときの智旭は、すでに完全に『宗鏡録』を仏教教学の最高の指導書としているのである。
1 『盂蘭盆経』に関する孝道観念と地獄思想については、岩本裕『目連伝説と盂蘭盆』(昭和四十三年京都法蔵館)第一章「中国に於ける目連救母伝説の展開」、第三章「目連救母伝説の源流」、第四章「地獄思想の展開」を参照。
2 徐雨海居士の行蹟について、智旭の文献に、なお次の二点にも述べている。①「寄徐雨海」の書簡(絶餘編第三巻一六ー一七頁)、②「惺谷璧如二友合伝」(宗論八ノ一巻八頁)。
3 『占察経行法』については、本書第三章第二節を参照。
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- 三界唯心とは、また三界唯一心ともいう。晉訳六十巻本『華厳経』第二十五の十地品に、「三界虚妄、但是心作。十二縁分、是皆依心。」とある。\大正九巻五五八頁C
- 『大乗入楞伽経』巻二、「大慧、云何観察、自心所現、請観三界、唯是自心。」とある。\大正一六巻五九九頁C
- 『大乗起信論』、に「唯是一心、故名真如。」とある。\大正三二巻五六頁A
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- 無性の『摂大乗論釈』巻四に、「如是三界、皆唯有心。此言顕示、三界唯識。言三界者、謂与愛等結相応、堕在三界、此唯識言成立、唯有諸心心法。」とある。\大正三一巻四〇〇頁B
- 『唯識二十論』の冒頭に、「安立大乗、三界唯識。以契経説三界唯心。」とある。\大正三一巻七四頁B
6 田島徳音『占察善悪業報経題解』参照。\国訳一切経の経集部第一五巻三一三ー三一七頁。また中村瑞隆『蔵和対訳究竟一乗宝性論の研究』P.110 ②註に「漢訳は六根聚経から引用としている。この経は原典がなく、西蔵大蔵経・漢訳大蔵経にも見当らない」と考証している。けれども『占察善悪業報経』の経題の下には、「出六根聚経中」という小字脚註がある(大正一七巻九)。