〇一頁C
7 「法海観瀾自序」参照。\宗論六ノ四巻二三ー二六頁
8 永明延寿の拈鬮については、①『宋高僧伝』巻二十八の延寿伝(大正五〇巻八八七頁AーB)と②『景徳伝燈録』巻二十六の延寿条〈大正五一巻四二一頁Cー四二二頁A)には共に記載していない。けれどものちにできた③『釈門正統』巻八(卍続一三〇巻四四九頁D)及び④『仏祖統紀』巻二十六(大正四九巻二六四頁C)の延寿伝記には、拈鬮のことを明記している。
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- 『占察経玄義』に、「永明大師、巳悟円宗、仍作坐禅・万善。」とある。\卍続三五巻二六頁D
- 「十八祖像賛」の延寿像賛に、「特上天台智者巌、作甲乙二
、鬮、甲一生禅定、乙誦経万善・荘厳浄土。七度得乙?。」と記している。\宗論九ノ四巻一三頁
10 「較定宗鏡録跋四則」参照。\宗論七ノ二巻一五頁
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- 相宗八要の書目については、本書第四章第二節参照。
- 相宗八要という名目を始めて説いたのは、明末の雪浪洪恩(一五四五ー一六〇八)である。これは聖行の『叙高原大師相宗八要解』に、次のように述ベている。「余因憶昔白下雪浪恩公、演説宗教、特従大蔵中、録出八種示人、以為習相宗之階梯。是謂相宗八要。」とある。\卍続九八巻三四三頁A
- この相宗八要の註釈書について高原明⑥の『解』並びに智旭の『直解』の二種がある。
二 現前一念心説
現前一念心説の根源
この段階において、智旭の著作の中には、彼独特な哲学思想の現前一念心という理念が、始めてあらわれていることが指摘できる。この語句は勿論智旭が自ら創造したものであるが、その思想発生の源流を探究してみると、次の五つの資料を挙げることができると思われる。
- 『大仏頂首楞厳経』巻第二
現前生滅與不生減。(大正十九巻一一〇頁A)
我觀現前、念念遷謝、新新不住。(大正一九巻一一〇頁B)
- 『達磨大師悟性論』
若一念心起、則有善悪二業、有天堂地獄。若一念心不起、?無善惡二業、亦無天堂地獄。(大正四八卷三七一頁Cー三七二頁A)
- 『摩訶止観』巻第五の上
若無心而已、介爾有心、卽具三千。亦不言一心在前、一切法在後。亦不言一切法在前、一心在後。(大正四六巻五四頁A)
- 『新華厳経合論』巻第一
隠隠無邊刹境、自他不隔於毫端。十世古今、始終不移於當念。(卍続五巻三三二頁CーD)『新華厳経合論』巻第二 一念相應一念佛、一日相應一日佛。(卍続五巻三四五頁C)
- 『宗鏡録』の序文
編羅廣義、撮略要文、舗舒於百卷之中、巷攝在一心之内。能使難思教海、指掌而念念圓明。無盡真宗、目覩而心心契合。(大正四八巻四一六頁C)
以上の五つの資料を考察すると、智旭における「現前一念心」説の根源は、その概要が理解されるであろう。「現前」の二字は、『摩訶止観』の「介爾」の二字と似ているが、やや違っており、これは『楞厳経』から採択したものである。「一念心」の三字は、『摩訶止観』の「此三千在一念心」(1)という説と相違はしていないが、