明末中國佛教の研究 371


1 大正四六巻五四頁A

2 智旭の著作には、『新華厳経合論』の「十世古今、始終不離当念。」という文句をしばしば引用し、たとえば①宗論二ノ一巻九頁、②宗論一ノ二巻二頁、③宗論一ノ二巻七頁、④宗論八ノ二巻一頁、⑤宗論八ノ二巻六頁などにみられる。

3 ①『宗鏡録』巻十四\大正四八巻四九一頁A ②『宗鏡録』巻十五\大正四八巻四九七頁C

4 『宗鏡録』巻十九\大正四八巻五一八頁A

5 (A)「勧念豆児仏疏」には、「一念相応一念仏、一日相応一日仏」という文句を引用している。\宗論六ノ三巻一九頁 (B)「示念仏社」には、『宗鏡録』云という引用方式を取っているが、しかし「一念相応一念仏、念念相応念念仏。」と表現が変っている。\宗論二ノ五巻八頁

6 『明代思想研究』の第十二篇は、「智旭の思想と陽明学ーある仏教心学者の歩んだ道ー」という題名である。\東京都創文社昭和四十七年十二月初版発行

7 智旭の「自像賛」の一に、「憲章紫柏可、祖述永明寿。」とある。\宗論九ノ四巻一六頁

三 心体論

禅中心の現前一念心


前にも論述したように、智旭は禅の立場を取っているにもかかわらず、従来の中国の禅宗学者と異っており、彼が依拠とする根本経典は、三十代以前に既に『大仏頂首楞厳経』並びに『梵網経』と決まっていた。『楞厳経』の「常住真心」と『梵網経』の「梵網心地」を、彼は晋訳『華厳経』巻第十にいう「心仏及衆生、是三無差別」(1)の「心」と理解し、この「心」とは、すなわち衆生の凡夫心・仏の無上菩提心およびわれらの現前一念心である。この「心」を迷失すると、六凡法界の衆生となり、この「心」を覚悟すると、