故(智者『義疏』)屬事不屬理、屬修不屬性、屬宗不屬體。(『梵網経玄義』\卍続六〇巻三〇八頁D)
これによって、智者大師の『義疏』は、単なる事相・修行・宗旨の面について闡釈しているのみであり、智旭の『玄義』と『合註』は、事理並論・性修兼明・宗体倶彰の立場を持っているということに注意すべきであると思う。
以上列挙した各点の中に、智者大師の『義疏』は、第三点の大小乗の戒律を対比料簡する点に、智旭の著作との一致を見るが、他の場合にはほとんど異っていると見ることができる。
1 大正九巻四六五頁C
2 大正一九巻一二一頁A
3
- 「示初平」に、「人知宗者仏心、教者仏語、不知戒者仏身也。」とある。\宗論二ノ一巻二頁
- 「示六正」に、「戒者仏身、律者仏行、禅者仏心、教者仏語。」とある。\宗論二ノ五巻二〇頁
4 「除夕答問」に、「又吾宗乗妙処、奪情不奪法。」とある。\宗論四ノ一巻一七頁。「宗乗」とは卽ち禅宗のことで、その典拠は『楞伽経』の「宗通」と「説通」という説よりでたものである。
5 宗論五ノ二巻一四頁
6
- 「示巨方」に、「請決於仏、拈得依台宗、註梵網鬮、始肯究心三大五小。」と記されている。\宗論二ノ五巻三頁
- 「梵網経合註縁起」に、「次探法華玄義・摩訶止観等書、私淑台家教観。而毗尼一蔵、細閲三番、梵網一経、奉為日課」。\卍続六〇巻三一〇頁B
7 『梵網経玄義』参照。\卍続六〇巻三〇八頁B―C
第三節 壮年後期(四十歳ー四十九)における智旭の思想
一 楞厳経の流行と智旭の受容
梵網経より楞厳経へ
三十九歳までの智旭は、戒律思想に顕著な発展を見せ、小乗戒から大乗戒へ移り、大乗戒を用いて小乗戒を統摂し、さらに戒律の菩薩戒経を用いて教観の思想を展開した。したがって、彼は『梵網経』を註釈するに当って、戒律思想を十二分に発揮する(1)と同時に、彼の教学思想である観心説の修道論および本源心地という心性説の本体論を貫徹して、両者をその中に表現したのである。彼が「梵網経合註縁起」に言っていることは次の通りである。