明末中國佛教の研究 375

ただ第六識の心理行為である意業をさすことが理解される。この第六意識の心理活動は、すなわち、智旭のいう現前一念の妄想心であるが、智者大師の解釈においては理体実相のことは考えられていないから、智旭の解釈と異っていることが明白である。よって、智者大師の本意を考えると、小乗戒律は事相に偏重するものであるが故に、身・口・意の三業のうち、仮りに意業の犯戒が生じても、身口七支の犯戒行為にならないならば、その罪は極く軽徴なことにすぎないと言える。けれども、大乗戒律は心理活動に偏重するもので、身・口・意三業に亘って犯行を防ぐべきであるから、身口七支の犯戒行為が現われなくても、犯意あれば罪になるのである。これは戒法の解釈であり、修行方法の指導であって、心体論・理体論・心性論などには関係がないのである。この点については智旭も了知しており、彼は次のような意見を出している。

故(智者『義疏』)屬事不屬理、屬修不屬性、屬宗不屬體。(『梵網経玄義』\卍続六〇巻三〇八頁D)

これによって、智者大師の『義疏』は、単なる事相・修行・宗旨の面について闡釈しているのみであり、智旭の『玄義』と『合註』は、事理並論・性修兼明・宗体倶彰の立場を持っているということに注意すべきであると思う。

以上列挙した各点の中に、智者大師の『義疏』は、第三点の大小乗の戒律を対比料簡する点に、智旭の著作との一致を見るが、他の場合にはほとんど異っていると見ることができる。

1 大正九巻四六五頁C

2 大正一九巻一二一頁A

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4 「除夕答問」に、「又吾宗乗妙処、奪情不奪法。」とある。\宗論四ノ一巻一七頁。「宗乗」とは卽ち禅宗のことで、その典拠は『楞伽経』の「宗通」と「説通」という説よりでたものである。

5 宗論五ノ二巻一四頁

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7 『梵網経玄義』参照。\卍続六〇巻三〇八頁B―C

第三節 壮年後期(四十歳ー四十九)における智旭の思想

一 楞厳経の流行と智旭の受容

梵網経より楞厳経へ


三十九歳までの智旭は、戒律思想に顕著な発展を見せ、小乗戒から大乗戒へ移り、大乗戒を用いて小乗戒を統摂し、さらに戒律の菩薩戒経を用いて教観の思想を展開した。したがって、彼は『梵網経』を註釈するに当って、戒律思想を十二分に発揮する(1)と同時に、彼の教学思想である観心説の修道論および本源心地という心性説の本体論を貫徹して、両者をその中に表現したのである。彼が「梵網経合註縁起」に言っていることは次の通りである。