明末中國佛教の研究 379

續佛慧命。然竟不及見。(卍続一四八巻三一一頁Dー三一二頁A)

と。これは、智者大師が『楞厳経』を見ていないにもかかわらず、既にこの経典の存在を知っており、かつ日夜西に向って礼拝し、一日も早く中国へ伝来することを願ったというのである。しかし、明末の銭謙益(牧齋一五八二ー一六六四)撰『楞厳経疏解蒙鈔』巻末の三にこのことを考証して、天台宗講徒に引用された伝説は、南宋の『僧瑩清話』にあらわれたもので、本当の実録ではないと論断している(10)。実際には中国仏教において最も『楞厳経』を闡揚した人物は、華厳宗の第六祖と見ることができる長水子璿(九六五ー一〇三八)であり、『首楞厳経義疏註経』二十巻を著わしているのである。彼は嘗て天台宗山外派の霊光洪敏に参悟したところから、また寀±外派の一人とされている(11)。次に天台学者として『楞厳経』を註釈したのは、山外派の孤山智円(九七六ー一〇二二)および興化仁岳(?ー一〇七七)などである。これらの事実にしたがえば、天台智者大師が西に向って『首楞厳経』を礼拝する伝説は、宋以降、いわゆる天台宗山外派の学者から流れ出したものと見ることが可能であろう。しかしながら、智旭が『楞厳経』を珍重したことは、天台宗山外派の影響を受けたことによるものではない。彼は禅者として『楞厳経』の教えを受けたのであり、後に『宗鏡録』の影響によって、『楞厳経』を禅・教・律・密、あるいは性相二流の異説・異見を統一する根本経典としたのである。

1 「霊巌寺請蔵経疏」に、「適欲先註梵網、提律学綱宗。」とある。\宗論七ノ三巻四頁

2 宗論八ノ一巻五頁

3 宗論一ノ一巻二〇頁

4 宗論八ノ一巻一四頁

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7 常盤大定『支那に於ける仏教と儒教道教』一九四頁(昭和五年十月初版、昭和四十一年八月東洋文庫再版)。

8 同上書一九六ー一九七頁

9 Jan yun-hua.PH.D. Mcmaster university, Canada, TwoProblems of Tsung-ml,s(宗密) Compilotion of the CH'AN-TSANG (禅蔵)(一九七四年『国際東方学者会議紀要』第十九巻』に、宗密の『禅蔵』は既に失迭したが、その内容の大部分は延寿の『宗鏡録』に収録してあるといわれている。

10 銭謙益撰『楞厳経疏解蒙鈔』巻末の三に、「今案台家引梵僧懸記、出宋僧瑩清話、非実録也。」とある。\、卍続二一巻三七八頁A

11 同上書巻末の三参照。\卍続二一巻七七九頁

二 諸説融通の修道観

現前一念心の観心説


この期の智旭は、『楞厳経』の如来蔵妙真如性の理念に基づいて、現前一念心の説を更に広げ、また『起信論』の真如随縁説を受容して、現前一念心を如来蔵性の随縁説と解するようになる(1)。さらに、『楞伽経』の妄想無性(2)の「妄想」と、『円覚経』のいう「六塵縁影為自心相」(3)の「自心」、菩提達磨に纒わる安心についての伝説である「覓心了不可得」(4)の「心」、および『大乗止観法門』の「分別性」、『成唯識論』の「徧計性」、『摩訶止観』のいう初観識陰(5)の「識陰」等全てを彼の現前一念心をもって理体を説明し、なお修行の実践基準としている。この一念心の随縁不変は、真如理体の常住真心また如来蔵妙真如性ともいう。この一念心の不變随縁の場合は、前にも述べたように『楞伽経』の妄想心、『円覚経』の縁影心、覓心不可得の浮動心、『大乗止観』の分別性、『成唯識論』の徧計性、『摩訶止観』の識陰を指す。これらの名は経論によって異っているが、