この現前一念心の体性を証悟するためには修行を必要とする。修行の方法は種々であるが、そのうち、禅観によって証悟を得ることは一般的通途である。しかし、禅観の方法としても、経論によって種々の異名が存するが、智旭は『楞厳経』の立場から『摩訶止観』の十乗観境と『楞厳経』の妙奢摩他三摩禅那は同様のものであると述べている(10)。そのうえ、『円覚経』の縁影妄計を観破することは、『楞厳経』の七処徴心(11)と同一のものであり、また『中論』に自性・他性・無性・有性の四性をもって諸法の実際を推考することや、『摩訶止観』巻第二上に、未念・欲念・正念・念已の四運心をもって心識の有形と無形を推検することは、全て同様なことであると見做している(12)。これは彼の諸説統一論の観点によって表現したものであると思われる。

したがって、この期の智旭の著書は、『楞厳経』の『玄義』と『文句』を始め、『大乗止観釈要』、『成唯識論観心法要』、乃至『周易禅解』など儒教書類の註釈に至るまで、すべて『楞厳経』の経体である如来蔵妙真如性の理念を転出する現前一念心の性体説であると見ている。そして、真心と妄心。心性と心相・性と修・真如心と八識心。唯心と唯識・乃至儒教の無極と太極など種々の異名異説の心体と心相あるいは本体論と現象論、あるいは本体論と修道実践論を統一して、いわゆる性相融会および三教同源の思想を展開したのである。

1 「蔵性解難五則」参照。\宗論四ノ三巻二〇ー二一頁

2 宗論四ノ三巻一四頁

3 大正一七巻九一三頁B

4 関口真大『達磨の研究』によると、達磨伝記に関する『洛陽伽藍記』(五七六年成書)から『伝法正宗記』(一〇六一年成書)ま での十七種資料書のうちに、僅か後の『祖堂集』(八五二年成書)・『宋高僧伝』〈九八八年成書)・『景徳伝燈録』〈一〇〇四年成書)並びに『伝法正宗記』の四書だけ、この安心問答の伝説を記載しているが、早期の十三種資料書にはこの安心伝説について記されていないと説かれている。