明末中國佛教の研究 384


なお『起信論』の真如受熏説と『唯識論』の真如不受熏説との異点に関して融和論を出すのも、同じ『成唯識論観心法要』第八に見られる。天台教観と『唯識論』との調和解釈をしたのは、智旭しかいないので、勿論幾つかの困難な点もあったが、智旭における『唯識論』註釈の目差すところは、天台教学だけを宣揚することではなく、性宗と相宗を融和するためである。そして、『唯識観心法要』の理論依拠としての主要経論は、『法華経』・『智度論』・『中論』などインドから伝来したものではなく、中国でできた『大仏頂首楞厳経』・『大乗止観法門』・『宗鏡録』であった。

諸宗統一論


このような思想時期に完成した著作である『楞厳経』の『玄義』と『文句』は、性宗の立場から性相融会の見解を表現するものと言える。特に『楞厳経』の内容を調べると、実に広大甚深な経典であるというべきもので、その概要を示すと、観心法門としては、巻第一から巻第三までに示された七処徴心があり、修証の類別としては、巻第五と巻第六の二十五種円通法門が説示されている。二十五種の円通法門とは、六塵・六根・六識・七大を分類して各々の観法を成就することであるが、そのうち弥勒菩薩円通章は、識大観の唯識思想を語っており、大勢至菩薩円通章は、根大観の浄土念仏思想を語っており、観音菩薩円通章は、耳根円通の三十二応化身である大悲救世の観音信仰を鼓吹している。また、巻第七にある灌頂部録出の「大仏頂如来放光悉恒多鉢恒囉菩薩万行品」また「中印度那蘭陀曼荼羅灌頂金剛大道場神咒」と名づけるものは、完全な密教的色彩をもった真言加持の信仰とその教説である。巻第九と巻第十は禅定修持の指導分析を説き明かしている。また、巻第六には四種清浄明誨とは、婬・殺・盗・大妄語の四種根本戒のことであることを示し、さらに巻第八には比丘戒の四棄と比丘尼戒の八棄乃至・葱・蒜・韮など五辛戒までを堅守すべきとする厳しい戒律思想を語っている。それ故、七処徴心の観心法門から、