明末中國佛教の研究 386

援引 可拠。」と説いている。\卍続八二巻一九七頁A

2 「寄霊隠兄」参照。\宗論五ノ一巻一九頁

3 「結社修浄業兼閲華厳大鈔助縁疏」参照。\、宗論七ノ四巻一七頁

四 智旭の浄土思想


智旭の四十代において、なお考察し論述しなければならない著作がある。それは浄土に関するものであって、智旭の浄土思想について整理すると、次の三点が挙げられる。

参究と念仏


参究とは、いわゆる禅宗の参話頭ということで、これは永明延寿(九〇四ー九七五)が、禅浄雙修を鼓吹し、これを受けて智徹禅師(生歿不詳)が「念仏是誰」という話題で開悟をさせたことにはじまる。明末の雲棲祩宏はこれを踏襲して、持名念仏とともに闡揚し、参究念仏を理持と名づけ、持名念仏を事持と名づけていたが、智旭においては、三十代頃、理持の参究念仏を観想念仏と認め、事持の持名念仏を称名念仏と認めると同時に、中峰明本(一二六三ー一三二三)のいう「禅者浄土之禅、浄土者禅之浄土」とある説に賛成していた(1)。しかし、四十代になると、参究念仏の説に対して「是権非実、是助非正」(2)という見解が見られ、なお五十代の時には「浄不須禅」、しかも「禅決須浄」という主張に変化して、参究念仏の説を徹底的に否定していたのである(3)。

三種念仏と称名念仏


三種の念仏とは、念他仏・念自仏・自他仏倶念ということである。智旭が『浄然沙弥化念仏疏』(4)に述べているのは、阿弥陀仏の果徳荘厳を所念の境としてその名号・相好・勝徳等を憶念し、