明末中國佛教の研究 388

③実報無障礙土、④常寂光土の説(9)に基づいている。また『成唯識論』巻第十の①法性土、②自受用土、③他受用土、④変化土を天台の四土説と対釈することも見えているが(10)、やはり天台の四土説に近いと見ている。すなわち、法身仏の常寂光土、自受用報身仏の実報無障礙土、他受用報身仏の方便有余土、応化身仏の凡聖同居土である。前三土に往生する人は、必ず見思・塵沙・無明の三惑を断じ、次第に方便・実報・寂光の順序によって三土に登っていく。これは自力往生の豎出三界の浄土である。但し、西方安養の凡聖同居土は自力でもよいが、見思の煩悩がまだ残っていても、他力によって横出三界の往生ができるとするのである(11)。

浄土法門に対する讃礼


浄土法門では自力と他力の二類があるけれども、智旭の浄土讃礼の中心点は他力方便の方に傾斜している。それ故彼は、

と、持名念仏または称名念仏と西方浄土を讃嘆している。つまり、この阿弥陀仏の念仏法門は、至円至頓・第一了義の無上法門で、しかも最も容易な法門である。もし持名念仏をすれば、