明末中國佛教の研究 391

如来蔵と三性三無性の二つがあり、如来蔵思想は性宗に属するが、三性三無性の説は相宗に属すべきものと把捉していたのであろう。それ故、性相融会を主唱する智旭は、純粋性宗の立場を取っている『摩訶止観』に比して、『大乗止観』をより重要視しており、「復張中柱」の書簡中にも、また『大乗止観』を称讃していることが認められる。すなわち、

大乗止観、性相總持、與佛頂玄文・唯識心要二書、相爲表裏。苟留心既久、得其血脈、一代時教、思過半矣。(宗論五ノ二巻一二頁)

と。これは『楞厳経玄義』と『文句』は、性宗の経典をもって性相融会論の思想を発揮し、また『唯識観心法要』は、相宗の論典をもって性相融会論の思想を表現しているのであるが、この『大乗止観』は自ら性相融会論の内容を具足している。換言すれば、『大乗止観』だけは『楞厳経』と『唯識論』の両書の優れた点を含むものであるから、これを心に留め、またその血脈を得るならば、釈尊の一代時教の半分以上がわかるであろうと、智旭が考えていたことが知られる。

性宗の立場における性相融会論


なぜ、智旭が『大乗止観』を性相の総持と絶讃するのであろうか。恐らく、本書が如来蔵縁起観をもって『起信論』の心意識思想、並びに『摂大乗論』の三性三無性説を調和し、その独特な性相融会論の濃厚な色彩を含んでいるからであろうと思われる。中国において、このような性相調和論をはっきりと打出した論書は、本書が最初であろう。『起信論』の疑偽説と共に本書『大乗止観』の著作問題に対して、学界においては様々の論議がある(1)がここでは省略したいと思う。

『起信論』と『大乗止観』の内容を考察すると、両者の因果関係があることは明らかである。