『大乗止観』は相宗系の『摂大乗論』から三性三無性説を吸収しているが、その基本的な立場は性宗の側に立っている。たとえば、『大乗止観』の如来蔵思想および心意識論の表現するところは、すべて性宗的立場の考え方であると言うことができる。智旭にとっては、性宗のみに固執するより、性相融会論の主張を主眼とするもので、彼がこの『大乗止観』を性相の総持と称讃することは当然であろう。
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- 『起信論』の問題に関して、平川彰『大乗起信論』P30―32参照。\『仏典講座』の二十二(昭和四十八年大蔵出版株式会社)
- 『大乗止観』の撰者問題に関して、拙著『大乗止観法門之研究』第二章第三節参照。(中華民国六十年六月―六十一年二月台湾『海潮音』月刊五二巻六号―五三巻二号)
二 楞伽経および起信論と智旭
大乗止観から大乗起信論へ
『大乗止観』に対し、智旭は三十代頃からこれを彼の浄土信仰と合わせて問題としていた(1)。すなわち、四十四歳に四巻の『釈要』を著わし、四十七歳の夏に石城の済生庵でこれを講演し(2)、また五十一歳の夏に長干の大報恩寺でこれを講述していたのである(3)。
さきに述べたように、『大乗止観』の根本思想は如来蔵縁起観であり、智旭はこの如来蔵思想を『楞厳経』の如来蔵と認め、また『起信論』の随縁説をもってこの如来蔵を解釈した。そして、『大乗止観』の空如来蔵は真如の随縁不変であり、不空如来蔵は真如の不変随縁であると解釈しているのである(4)。