明末中國佛教の研究 393

このような如来蔵随縁不変と不変随縁の説は、智旭の『楞厳経文句』の随所に見られるところであるが、さらに智旭は『大乗止観』の体である「自性清浄心」を、『楞厳経』の妙真如性あるいは常住真心と解釈した。そして『楞厳経』の「陰・入・処・界、皆如来蔵」と「如来蔵中、七大互融」という説をもって、『大乗止観』の止門と観門とを解釈したのである(5)。

また、智旭は『大乗止観』の「大乗」の二字を、「梵名摩訶衍、卽是衆生自性清浄心」(6)と説明している。摩訶衍が衆生心であるとは、全く『起信論』の論調であり、『起信論』における衆生心は、すなわち真如随縁不変の心を指している。この衆生心は真如門と生滅門に展開し、真如門とは常住清浄の心性であり、生滅門とは随縁変異の心相である。心相を浄化して本源清浄の心性に戻るのを還滅門といい、清浄の心性が無明の染縁に随って変異の心相を顕わすのを流転門というのである。心性の場合に立っていえば性宗といい、心相の場合に立っていえば相宗という。つまり、『大乗止観』は勿論のこと、『起信論』もまた性相二流の本であり、また性修不二の本であると智旭は見ていたのである。さらに、彼の『起信論裂網疏』においては、『唯識論』の観点で『起信論』の論文を解釈するところが非常に多い。したがって、『大乗止観』を講述した後の智旭が、『起信論』を註釈するに至ったのは当然なことであったといえよう。

楞伽経における宗通と説通


思想が成熟した四十代の智旭は、性宗に属する『楞厳経』の立場から、性相融会論を唱導し、その性相融会の理念で相宗の『唯識論』を註釈したが、晩年の智旭は、前期の性相合流の『大乗止観』から再び性宗の立場に属する『起信論』の思想へ帰着したと考えることができよう。それ故、『大乗起信論裂網疏』は性相融会思想を論じた最後の著述であると思われる。しかし、彼は『起信論』を註釈するに至るまでに、『占察経』の「玄義」と「疏」、それに四巻本の『楞伽経』の『玄義』と『義疏』を著わしている。学界の研究によれは、