明末中國佛教の研究 397


徧計本無、依他如幻、故名為真實空。圓成本具、復名真實不空。(大正四四巻四三一頁A)

と語っている。すなわち、真如の真実空を唯識三性の徧計所執と依他起の二性をもって釈し、また真如の真実不空を唯識の円成実性で解釈したのである。この唯識三性に対して智旭は、なお『楞伽経』の妄想自性・縁起自性・成自性という三性に対釈し、『大乗止観』の分別性・依他性・真実性の三性に対釈している(32)。

真如受熏説と真如不受熏説の会通 『起信論』の真如受熏説(33)と『唯識論』の真如不受熏説(34)との会通に関する智旭の論説には、『裂網疏』に四箇所があり(35)、ほかに『楞厳経玄文』の序(36)、「唯識論観心法要」巻第八(37)などにも詳論している。ここにはそれらの中から、二つを選出して見ようと思う。

まず、『裂網疏序』に、

起信論謂真如受熏者、譬如觸波之時、卽觸於水。所以破定異之執、初未嘗言真如随熏變也。唯識論謂真如不受熏者、譬如波動之時、濕性不動。所以破定一之執、初未嘗言別有凝然真如也。(大正四四巻四二二頁C)

とあり、また、『成唯識論観心法要』巻第八に、

馬鳴謂無明熏時、卽真如熏、乃約異而不異、如觸波時、全觸於水、非定一也。護法謂頼耶受熏、非關真如、乃約不異而異、如波動時、濕性無動、非定異也。(卍続八二巻三一八巻B)

とある。要約していえば、『起信論』の真如受熏とは、蔵識の体卽ち真如であり、これは真如と識の不異に約していうことで、『唯識論』の真如不受熏とは、虚妄の識相と清浄の真如の異っている点に約していうことである(38)。すなわち虚妄染汚の識相の体は真如であり、真如の相はすなわち虚妄の識であり、両者の間では約体と約相の差別が存するのであって、その理念は実に一体の両面にすぎないとするものである。けれども、