以上、三十名の天主教の外国伝教師の来華ほ、西紀一五八一年から一六四三年にかけて前後およそ六十三年の間に起こったことである。智旭の生存年代は、西紀一五九九年より一六五五年までであるから、第一名の天主教師羅明堅来華の年は、智旭出生前十八年のことであり、智旭が四十五歳に反天主教の作品『闢邪集』を刊行した年(一六四三)は、第三十人目の天主教師衛匡国が、来華した年である。彼らの本国籍は、イタリアが最も多く十四名を数え、ついでポルトガルの十二名、そしてその他スペイン、フランス、スイス、ドイツが、それぞれ一名であるが、