43 宗論五ノ三巻一七頁。\本書第二章第一節一項の「儒釈宗伝竊議」(九一頁ー九三頁)の文を見よ。
三 天台教学と智旭
天台註疏の方法論
上来、天台宗に関する智旭の著作思想についてはあまり触れていないので、以下に、智旭の天台宗著作に関する思想について、考察を進めてみたいと思う。
智旭には青年期の『白牛十頌』、四十代の『妙玄節要』と『法華綸貫』、晩年の『法華経台宗会義』と『教観綱宗』という著作があるにもかかわらず、天台思想から智旭が受けた影響は、一般に見られているよりも比較的に少なく、智旭が天台教学から学んだものといえば、天台註疏の方法論であると思われる。天台註疏の方法論とは、五重各説・七番共解という形式である。五重とは、一経または一論の題目と内容に対する分析解義のことで、いわゆる釈名・弁体・明宗・論用・判教の五重玄義を指し、この五項目を別々に説明することを各説という。七番共解の七番とは、五重の分科に対して、さらに釈名から判教まで別々に七科目に分けて、その義理を解明することで、いわゆる標五章(五重の分科)・引経証・明生起・弁開合・設料簡・明観心・会異義である。如何なる経論もその内容の章・節・文句に対しては、この七項目で分析解明が適宜なので、共解と称するのである。
観心思想
智旭は三十七歳の折、『盂蘭盆経』を註釈するに当って、はじめてこの五重玄義という方法論を用いている。しかも、七番共解の中で智旭が最も重視したのは、その「明観心」という一科である。