第六祖湛然が『起信論』の随縁説を引用している(6)が、教判には触れていない。次に、四明知礼の『教行録』巻第三に、これに関しての「別理随縁二十問」(7)があり、巻第二には「天台教与起信融会章」(8)があって、法蔵の『起信論』教判を論じているが、そこにおいては『起信論』を、「拠理、随縁未為円極」と論じ、しかも「別理随縁」と論定している(9)。この四明知礼の「別理随縁」説に対して智旭が、反論した点は別に見られないが、『裂網疏序』において、賢首と圭峰の教判を批評した後に、すでに「円極一乗」(10)という見解を打出している。このことは、智旭が『起信論』の真如随縁の説を円教に帰属させなければ、性相融会の根本的な依拠がなくなってしまうことを意味するものであるといえよう。華厳宗の賢首と圭峰、天台宗の荊渓と四明は共に真如随縁の思想を運用しているが、智旭のような「円極一乗」という論調は見られなかった。つまり、これらのことから極言すれば、智旭の真如随縁思想は、華厳宗と天台宗のどちらにも附属していないと言い得る。
天台教学が智旭に与えた影響
以上のことから、智旭は『起信論』の真如随縁説をもって、彼の性相融会論の論証法としたことは事実である。それ故、彼の著作の文章組織は天台の五重玄義の方法論に学び、理論の思想組繊は真如随縁の論証法に依ったのである。彼の目的とする処は、一宗一派、または一経一論を闡揚することではなく、全体としての仏教、すなわち、性相二流の思想を交流会通して、それに一つの体系的な統一仏教を作ることであった。そこで智旭は、『唯識論』の観点から『楞厳経』と『起信論』を註釈し、却って『楞厳経』と『起信論』などの理念で、『唯識論』を対釈しているのである。もちろん、天台の理論を引用したところもある。すなわち、『法華玄義』の五時八教・通別五時・百界千如、『法華文句』の十界互具、『摩訶止観』の六卽思想・一念三千・十乗観法などは、智旭の著作に見られるが、五時八教に対しては、ことに通五時説(11)の円頓教を闡揚している。さらに、