十界互具・百界千如・一念三千の思想は、智旭に吸収されて彼の現前一念心の哲学に取入れられ、十乗観法を智旭は何度も挙げているのであるが(12)、彼が心を傾けたのは、『大乗止観』の方であり、円教の修行果位を考量する六卽位の説に対して、三十歳のときの『白牛十頌』から最後の詩偈『病間偶成』まで(13)、これを活用している。六卽位とは、理卽仏・名字卽仏・観行卽仏・相似卽仏・分真卽仏・究竟卽仏の六段階の果位であり(14)、一般の人は理卽仏であり、聞円理・開円解・起円信の大乗円教に入門した人は名字位の仏である。これに対する智旭の要求は、非常に厳しく、大乗仏教を信解している人が、性・相分流、あるいは禅・教対立の立場を取るならば、この名字位の仏にはまだ至っていないとしている。したがって、彼こそ「名字位中」の「円融仏眼」を得ていたということになるであろう(15)。
以上、智旭の思想を考察すると、彼は天台宗を中心とするものでもなく、天台学の伝承者でもない。しかし天台教学から学んだものは少なくなく、譬えていえば、永明延寿の『宗鏡録』に現われる性相融会の思想は智旭に目と耳を与え、彼の手と足は天台教学が与えたものである。天台教学がなければ、智旭の思想展開もなかったのであろうと言うことはできよう。
1 「随文入観」に関する文献は、①宗論二ノ一巻六頁、②宗論二ノ二巻一〇頁、③宗論二ノ二巻一四頁、④宗論五ノ二巻七頁等参照。
2 「随文入証」は、宗論五ノ二巻一三頁に見られる。
3 「解行相須」は、宗論二ノ三巻二三頁に見られる。
4 天台宗における『起信論』関係の研究は、日下大癡氏の「天台上における起信論の地位」。(『六条学報』八九、九〇、九
二、九三、九六の各号)参照。
5 (A)法蔵の『起信論義記』には『起信論』を終教と判属している。(B)宗密の『起信論註疏』には『起信論』を終教兼頓と見做している。(C)子璿の『起信論筆削記』にも『起信論』をまた終教兼頓と見做している。