三種訳本の『楞伽経』のどこにも見当らないが、劉宋求那跋陀羅訳の四巻本には、四品の品目をいずれも「一切仏語心品」と標示されている。『宗鏡録』は、この「一心」をもって、禅教諸宗の義理を会通するということで、「宗」とは「心」ということになる。なお『宗鏡録』の「鏡」とは、心鏡または古鏡の意味である(9)。この古鏡という譬喩の出典は、『楞厳経』巻第四にある(10)。さらに、『宗鏡録』巻第一の序には、また「剔禅宗之骨髄、標教網之紀綱」(11)という表現があるから、智旭は『楞伽経』と『楞厳経』、並びに『宗鏡録』を経て、彼の天台教観に関する綱要書を『教観綱宗』と名づけたのであると思われる。その「綱」とは、大綱・綱要・紀綱の義であり、「宗」とは、禅・教・律・浄土の肝要である。そして、いずれも現前一念心を「宗」とすべきであり、また「禅は仏心である」(12)ので、教・律・浄土念仏とは、共に修行の方便であるにすぎないのである。それらの目的はただ禅である仏心を証悟することで、仏心である禅こそ智旭の中心思想であることがここで明らかにされているといえるであろう。ここに至り、『教観綱宗』の命名の意義は明確に認識される。

法華会義の分析


『法華会義』について、智旭の書簡の中にあらわれるのは二回ある。その中「復陳旻昭」の手紙は、わずか「力疾草法華会義、七旬告成」(13)という十一字のみを記しているだけである。しかし、「復松渓法主」の手紙には、

近述法華會義、因留都久染知音、大窾酸臭氣味、絶不知權實本迹綱宗、況得観心悉壇四益。語以三大五小、甫展卷、無不望洋而退。不得已、竊取文句・妙樂之旨、別抒平易顯豁之文、聊作引誘童蒙方便耳。消文分句、不無小殊時味、敢有他議哉。(宗論五ノ二巻一四頁)

と述べている。これは『法華会義』の述作の因縁とその趣旨を説明するものである。