明末中國佛教の研究 409

智旭の『法華経』を宣伝講義した記録は、割合に少ない、現存資料にみられるのほ、ただ四十三歳冬の漳南紫雲(14)、四十五歳の留都普徳講堂(15)での二回のみである。漳南紫雲で『法華経』を講説した頃に、『法華綸貫』と『法華経頌』を著わし、留都に『法華経』を再講してから、この『法華会義』ができたのである。

『法華会義』の内容は、智者大師の『法華文句』と妙薬大師の『法華文句記』の要旨を写したものであるが、文義の解釈・文句の分析においては、当時の天台学者の取扱い方とは梢異にしている。この点に関して、『法華会義』の序文にも、「更科・易文・竄入己意(16)」と述べている。しかしながら『法華会義』を詳細に考証した結果、その内容の主要部分はすべて『法華文句』から摘出したもので、『文句』の説明不足なところは、『文句記』を引いて補充し、その引用の方式は、ところによって異っており、あるときは正文に割込ませたり、あるときは脚註として書き入れていることが明らかとなった。また智旭の「竄入己意」という点においては、自作補釈・自作脚註・自設問答の方式であらわしている。その中には智者大師の『文句』との間に意見の相違するところも見られる。ここでこれらを分類して、それぞれの箇所を表によって示すと次のようになる。

▲法華会義の内容考証資料一覧表

法華会義

事項箇所

項目
巻数合計
12345678910111213141516
正文引用『文句経』7422118222233
脚註引用『文句記』179914221232153
智旭自作脚註111115
智旭自作補釈625421456644453
智旭自設問答111312542222
『文句』との相異点15121111
『文句記』との相異点12115
『観音玄義』との相異点33
『観音玄義記』との相異点11
引用『首楞厳経』21131513
引用『成唯識論』121116

1 大正一九巻一〇六頁C

2 半字と満字の説は、もとより『大般涅槃経』巻五と巻八に説かれたものである。天台宗に引用されたのは、『法華玄義』巻二上、『釈籤』巻五下。また『摩詞止観』巻三下、『輔行』巻三の四に、あらわれている。

3 大正四八巻四一六貢B

4 大正四六巻六四四頁C

5 「重刻大仏頂経玄文序」参照。\卍続二〇巻一九五頁B

6 「法華綸貫後序」。\卍続五〇巻一七九頁C

7 『宗鏡録』巻九十七に、「牛頭融大師絶観論問云…(中略)…何者為体、答、心為体。問、何者為宗、答、心為宗。問、何者為本、答、心為本。」とある。\大正四八巻九四一頁A

8 この唯心論思想について、唐訳八十巻本『華厳経』巻十九にある「若人若了知、三世一切仏、応観法界性、一切唯心造。」という唯心偈との関係が深いと思われる。\大正一〇巻一〇二頁AlB

9 『宗鏡録』の序文に、「以如上之因縁、目為心鏡」、「撮略要文、