明末中國佛教の研究 412

明此諸法無性、一一皆能徧具徧造者、謂之法性宗。直指現前妄法妄心、悉皆無性、令見性成佛者、謂之禪宗。是故臨濟痛快直捷、未嘗不精微。曹洞精細嚴密、未嘗不簡切。唯識存依圓、未嘗不破徧計。般若破情執、未嘗不立諦理。護法明真如不受熏、未嘗謂與諸法定異。馬鳴明真如無明互熏、未嘗謂定一。(宗論二ノ五巻七ー八頁)

この資料中の「心性」というものは、『楞厳経』の「如来蔵妙真如性」であり、あるいは現前一念心の実性である(1)。性具三千または事造三千、いずれもこの「心性」に含まれ、この「心性」から生まれ、しかも、所具所造の一切の諸法そのものはみな虚妄無自性である。「無性」という説には、相宗の無性説・性宗の無性説、それに禅宗の無性説がある。相宗は徧計・依他・円成の三性に対して、相無性・生無性・勝義無性を建立し(2)、『大乗止観』巻第三の無相性・無生性・無性性の説も(3)、相宗系統に属している。性宗は、『中論』の四性を推運して「空」をいうのであるが、この空もまた無自性であるから、徧造徧具の功徳をもっているとするのである。禅宗の無性説は、『楞伽経』巻第二でいう「妄想無性」(4)ということである。このように智旭は、慈恩系の相宗と『中論』般若系の性宗の教理を統合し、また曹洞宗と臨済宗と禅宗を統一しようとしたのである。禅と教との目的は、いずれも諸法無自性の理を悟ることである。それ故、明末の仏教界において、教では慈恩・天台・賢首が相い争い、禅では曹洞・臨済が互に争うのである。これに関する資料は少なくない。智旭の晩年の著作にも三箇所発見できる(5)。この論争に関する具体的な著作としては、陳垣氏著『清初僧諍記』があるが(6)、智旭は積極的に、諸宗融和の協力を全仏教界に求めたのである。

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3 大正四六巻六五八頁B

4 大正一六巻四九七頁B

5 ①宗論八ノ二巻一六頁、②宗論五ノ二巻二〇頁③宗論一〇ノ四巻一二頁

6 一九四一年初版、一九六二年三月中華書局重印

二 天台と唯識の融通


これについては、智旭は「示景文」の法語に明白に示している(1)。彼は唐訳八十巻本『華厳経』巻第十九にある「一切唯心造」(2)という理念並びに『摩訶止観』巻第五の上にある「一念三千」(3)という理念によって、『唯識論』の百法と『起信論』の大乗の義を解釈している。すなわち、心造の諸法は唯識の百法心相であり、一念三千は天台のいう事理三千を含んだ心性であり、唯識の百法心相は、実に天台の事造三千の内容であるとした。つまり、天台の一念三千の義に唯識教義を受容したのであり、『大乗止観』は、天台以前の著書であるが、すでに止観所依等の五番建立によって三千性相・百界千如の全てを受容していると解するのである。それ故、唯識は天台の序であり、天台は唯識の奥義であると言うことができる。この両者の融通に始めて努力した人は、